
「大人になんてなりたくない!」急増−ピーターパン症候群−現代人に潜む逃避願望とは?
30代になっても、どこか少年のような人がいる。
明るく自由で、場を盛り上げるのが上手。でもふと気づいた時、深い話や責任の話になると、まるで煙のように逃げてしまうーー。
あなたの周りにも、そんな人いませんか?
夢の国ネバーランド。そこで大人になるのを拒み続ける少年のお話、『ピーターパン』は世界的に有名ですよね。
彼らもまたピーターパンと同様、大人になることを「恐れ」ているのかもしれません。
今回紹介するのはそんな“大人になることを恐れる心“『ピーターパン症候群』になります。
目次
Toggle概要
ピーターパン症候群とは「大人になることを拒否し、責任や義務を避けようとする心理状態」のことを指します。この用語は正式な精神疾患名ではなく、心理傾向を表す社会的・文化的なラベルとして使われてきました。
名前の由来はJ.M・バリーの童話『ピーターパン』の、ネバーランド(幻想の世界)で永遠に子供のままでいたい少年ピーターパンから。この用語は、1983年アメリカの心理学者ダン・カイリーが著した『ピーターパン症候群』が初出となります。
現在「ピーターパン症候群」は単なる一部の人の傾向ではなく、若者から中年層にかけて広く見られる普遍的な心理現象として注目されています。
現代人に潜むピーターパン症候群という名の病。それにはどのような背景が隠れているのでしょうか。
ピーターパン症候群:症状
責任回避
ピーターパン症候群における責任回避の心理傾向はこの症候群の中核な特徴の一つと言えるでしょう。
これは単に「だらしない」「怠けている」という表面的なものだけが原因ではありません。
彼らの心の奥深くには未熟な自我が潜んでいます。それらは責任を負うことに恐れを持っており、心が防衛反応を起こす。そのような複雑なメカニズムが存在するのです。
ピーターパン症候群の人々は責任を負うことへの認識が一般の認識と少々異なります。「失敗したら全て自分の責任になるかもしれない」「失敗すると必要とされなくなるかもしれない」。そのように失敗に対して偏った主観的な思い込みと並々ならぬ恐怖感をもっているのです。
彼らにとって責任を負うということは、義務ではありません。自分の存在価値がなくなってしまうかもしれない、脅威なのです。責任を取るということは自身の人格を否定されることと同じ意味を持っています。
未熟な対人関係
ピーターパン症候群の人々は対人関係においても未成熟な傾向が強くみられます。この未熟さは、依存・理想化・共依存といった心理的パターンを伴うことが多く、本人も周囲も苦しみやすい関係構造を生み出す原因となっています。
また、寂しがりやで人に依存しやすいですが、人と親密になることを避ける傾向があります。これは深い関係になることで責任が生じることに恐れを持っているからです。
その他にも、束縛や要求に敏感。小さな批判などに過剰に反応する一方で褒められると、極端に安心するなどの症状が見受けられるでしょう。
他人と親密になれない反面、親や兄弟といった身近な存在には依存しやすく、経済的・精神的に頼りがちです。
例えば、親元で暮らし続ける、親の支援がないと生活できないことを当然とする、など。
アイデンティティの未確立
アイデンティティとは「自分が何者であるか」「どう生きたいか」という自己理解と性格の一貫性のことを指します。
アイデンティティの形成不足は、自己表現を苦手(自己理解の乏しさ)としたり、自分の役割を認識できないなど、社会生活において大きな支障をきたすことになるでしょう。
ピーターパン症候群の人々は、単純に大人になりたくないのではなく、なりたい自分がわからないことによって起こる、感情の混乱・空虚感が背景にあるのです。

なぜ今、大人になれない人が増えているのか?
「大人になるって損してるよね」
そんな声をよく聞くようになったこの時代。
なぜ、私たちは「大人になること」にこれほど抵抗を感じるようになってしまったのでしょうか?
過保護・過干渉な家庭環境
ピータパン症候群と過保護・過干渉の家庭環境は、極めて密接な関係にあると言えるでしょう。子供のためを思って先回りしすぎる親の態度は、子供に選択や責任を与えず、子供の心理的成長を阻害してしまうのです。
子供時代の意思決定における親の代替行為は、彼らが大人になった際に問題が生じてきます。意思決定の経験不足により自分の考えに自信が持てず、失敗への耐性がないため現実での挫折に打たれ弱くなるのです。
また、親への依存傾向から何かがあれば「誰かがなんとかしてくれるだろう」という周りに対する無意識の期待が残り続けます。
家庭内で”永遠の子供”として位置づけられることは、自分は子供として扱われるという”アイデンティティ”の形成を助長します。
そのため、大人の世界での価値観や常識が受け入れられず、嫌悪感や不快感といった拒絶反応が生じるのです。
自由の世界への憧れ・現実社会への厳しさ
ピーターパン症候群の人々は、社会に属することそのものに強い抵抗感を持っています。これは、メディアやSNSが強く影響していると言えるでしょう。
今のご時世、炎上・格差・詐欺・誹謗中傷など「信頼できない社会」の情報は日常化しており、理不尽な労働環境や、疲労しきった社会人のイメージは社会=悲痛というネガティブな印象を強く残しています。
結婚や子育てに関しても不倫や離婚問題など否定的なストーリーが目立って取り沙汰されており、純粋な感情を持つピーターパン症候群の人々にとってこれらの大人の社会は嫌悪するものがあるでしょう。
そのような空間に長く浸ることは、時に不快な現実への耐性を下げることも意味するのです。
自己肯定感の低さ
一見、自由気ままに子供であろうとするピーターパン症候群的態度の背景にはしばしば、本当の自分を肯定できない苦しさや、不安定感が隠れていることがあります。
自己肯定感とは「ありのままの自分に価値があると思える感覚」のことを指します。できる自分ではなく、できない時の自分を受け入れられるかどうかということです。
自己肯定感が低いと自分には無理、どうせ失敗する、などのネガティブな思い込みを助長させ、前に進もうとする気力を失ってしまいます。
仮にピーターパン症候群の人々が、心の中では「変わらなきゃ」と思っていても恐怖や不安がそういった感情を妨げ、結果、子供のままでいたいという退行願望が芽生えてくるのです。

あとがき
大人になるということは自由と引き換えに義務、責任、現実などの重たい荷物を背負うということでもあります。
ピーターパン症候群は単なる、甘えや怠けではなく、大人であろうとすることへの不安と葛藤の現れです。完璧であろうとする社会の圧、幼少期の傷、あるいは理想の自分と現実の自分のギャップ。
そこに耐えきれず、無意識に成長しないことを選んでしまう人がいるのです。けれど、覚えておいてほいしいのは、誰しも心の中にピーターパンを飼っているということ。
夢を持ち続けること。遊び心を忘れないこと。時に逃げてもいいと自分に許すこと。
たまには童心にかえって心をリラックスさせるのも大切なのかもしれませんね。
現代人にこそ響く!『ピーターパン』が描いた大人になれない心

作品情報
- 題名:『ピーターとウェンディ』(Peter and Wendy)
- 著者:J.Mバリー(James Matthew Barrie)
- 初出:1911年(小説版)/1904年(舞台初演)
- ジャンル:児童文学・ファンタジー
あらすじ
ロンドンに暮らすダーリング家のこどもたち、ウェンディ、ジョン、マイケルの三兄弟のもとに、ある夜、空を飛べる不思議な少年ピーターパンが現れます。彼は、大人になることを拒否した少年で、妖精のティンカーベルとともにやってきました。
ピーターは子供達をネバーランド(幻想の世界)へ連れていきます。そこには海賊のフック船長、人魚、迷子達(ロストボーイ)が暮らしていました。ネバーランドで子供達は冒険を繰り広げ、ウェンディは母親役としてピーターやロストボーイの世話を焼くようになります。
やがて、フック船長との戦いを得て、ウェンディ達は成長する決意を固め、ロンドンの家に戻ることにします。しかしピーターだけは、「永遠の子供」としてネバーランドに残ることを選んだのでした。
ピータパンとは
「大人になんてなりたくない!」
そんな誰もが一度は思ったことのある気持ちを、永遠に貫いている少年。それがピーター・パンです。
スコットランド出身の作家J .M .バリーが生んだこの物語は1904年に舞台として初演され、その後1911年に小説版『ピーターとウェンディ』として出版されました。
成長と喪失「大人になること」とは何かを問う永遠の物語
『ピーターパン』は、空を飛び、ネバーランドで永遠の冒険を楽しむファンタジーとして知られていますが、単なる冒険譚ではありません。
永遠の少年ピーターパンと、大人への階段を上る少女ウェンディとの交流を通じ「子供であることの自由」と「大人になることの責任」その狭間で揺れる心のドラマを描いたヒューマン小説なのです。
原作を読むと、ディズニーとは違う、悲しみと成熟への戸惑いに満ちた物語であることに気付かされるでしょう。
こんな人におすすめ!
- 大人になるのが不安と感じたことがある人
- こころに残る名作を読み直したい人
- 心理学的なテーマを含んだ物語が好きな人
- ピーターパン症候群に興味のある人
気になる方はぜひ読んでみてくださいね!
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