
執筆者 Nene_sanz2025年6月30日
ナイジェリア連邦共和国:国旗【由来&歴史】
ブログ記事一覧 記事
目次
Toggleナイジェリア連邦共和国:基本概要
Information
正式 | Federal Republic of Nigeria | 首都 | アブジャ |
人口 | 2億2,380万人 | 面積 | 923,773平方キロメートル(日本の約2.5倍) |
言語 | 英語(公用語)、各民族語(ハウサ語、ヨルバ語、イボ語等) | 通貨 | ナイラ |

緑は、豊かな『森林資源・農業』を象徴。

白は、『平和・統一』の象徴。
1959年:ナイジェリア国民に”国旗デザイン公募”の通知が行われました。国民達は様々な案を考案します。
そんな中選ばれたのは、当時ロンドン大学に留学していた22歳のナイジェリア学生のデザイン。
翌年1960年10月1日、ナイジェリアが独立を果たすとともに正式に採用されるようになりました。
元のデザインには「赤い太陽」などもありましたが、最終的にシンプルな3色に決定されたそうです。
また、縦に3分割されているのはナイジェリア主要民族である『北部のハウサ族、西武のヨルバ族、東部のイボ族』を表現しているそうだとか。
国旗:遷移と歴史
- 19世紀以前のナイジェリア
- 15〜19世紀。ヨーロッパ諸国・アフリカ大陸・アメリカ大陸を中心とした奴隷貿易が盛んに行われました。ポルトガルがナイジェリアに港町ラゴス(ナイジェリア南西部の海岸沿い)を建設したのを皮切りに、イギリスやポルトガルを中心とする奴隷貿易の拠点として利用されます。
【ナイジェリア付近(隣国:トーゴ・ベナン)の海岸にはこのような拠点がいくつか存在しており、しばしば”奴隷海岸”と呼ばれた。】
このような貿易は人道に反するということで、1807年にはイギリスでの奴隷貿易が禁止され、1833年にはイギリス全体で奴隷制度が廃止されたのでした。

ナイジェリアの歴史:大西洋三角貿易
『大西洋三角貿易』とは、17〜18世紀にかけてヨーロッパ・アフリカ・アメリカ大陸間で行われた貿易のことを指します。
概要
ヨーロッパ→アフリカ:鉄製品・銃・布
アフリカ→アメリカ:奴隷
アメリカ→ヨーロッパ:砂糖・タバコ・ラム酒。
この貿易では、約1200万人以上の黒人がアメリカに連行されました。
- イギリス保護領ナイジェリア
- 19世紀半ばになると、イギリスがナイジェリアの直接的な支配を目論むようになります。手始めに、ナイジェリア地方における有力な先住民族の王国はイギリスにまとめて滅ぼされました。
1885年のベルリン会議(列強諸国によるケーキの取り合い:ケーキ=アフリカの領土)にて。イギリスはナイジェリア地方の支配権を国際的に認められます。
翌年の1886年『王立二ジェール会社』に特許権を与え統治を委任。その後、北部ナイジェリア保護領・南部ナイジェリア保護領に分割し、イギリス本国がナイジェリア全土を支配するようになりました。
(1914年:北部・南部保護領は一つに統括されます。)

- ナイジェリア連邦共和国(1960年〜)
- 1960年10月1日、ナイジェリアはイギリス保護領・植民地支配からの平和的独立を果たします。独立当初、それぞれが強い自治権をもつ北部州(主な民族:ハウサ族)・西部州(ヨルバ族)・東部州(イボ族)の3地域に分けられ、イギリス女王を国家元首とする”連邦王国”でした。
その後、1963年に大統領制に移行。民主政権と軍事政権を交互に繰り返しながら今日に至ります。

リンク
リンク
コメントを残す