
ソマリアの国旗
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Toggleソマリア連邦共和国の基本情報
ソマリア連邦共和国 |
正式 | Federal Republic of Somalia | 首都 | モガディシュ |
人口 | 1,760万人 | 面積 | 63万8千平方km(日本の約1.8倍) |
言語 | ソマリ語・アラビア語 | 通貨 | ソマリア・シリング(SOS) |
ソマリアの国旗:解説
『ソマリアの国旗🇸🇴』は1954年10月12日、詩人・政治家である『モハメド・アワレ・リバン』によってデザインされました。1960年ソマリアがイタリア・イギリスから独立した後、正式な国旗として使用されています。
以下色の説明

『水色』国連を象徴

『白色』平和・繁栄

『五芒星』ソマリ人が住む5つの地域

国際連合の旗
『水色の下地に白の紋様』。これは『国際連合の旗』に大きく由来しています。1949年、国際連合(UN)はソマリアの独立を手助けするべく、元宗主国であるイタリアに『イタリア信託統治領ソマリア』としてソマリアの統治を委任しました。
統治期間は10年間。この間に独立までの手続き(法律・立法の準備)を行うことになります。
1954年、イタリア信託統治領ソマリア行政とUNのメンバーにより『立法評議会(ソマリア人・イタリア人・アラブ人・インド人などで構成)』が設立。彼らが国旗制定の会議を始めたところ『モハメド・アワレ・リバン』は国旗デザインを速やかに完成させ以下のように述べました。
”Mr. Mohammed Awale Liban said the blue color stands the United Nations who help us to reach our dream of independence; white means peace and prosperity; and the star is the five regions of the Somali people.”
引用元:FOTW Flags Of The World website:https://www.crwflags.com/fotw/flags/so.html
訳:青は独立の夢に到達するのを手伝ってくれる国連を表しています。白は平和・繁栄を意味し、星はソマリアの人々が住む5つの地域を表現しています。
彼のデザインセンスと手際のよさは評議会のメンバー・ソマリ人たちから賞賛されました。
また、ソマリアの国旗は『ソマリア連邦政府(FGS)』による法律・憲法のもと以下のように規定が設けられています。
【ソマリア連邦共和国2012年度:第6条 国旗および国家象徴】
- ソマリア連邦共和国の国旗は、スケジュールA(ソマリアの国旗画像)に示されている通り、中央に五つの等しい角を持つ白い星が描かれた水色の長方形である。
- ソマリア連邦共和国の連邦構成メンバー州は、連邦制度に従い、それぞれ独自の旗および国家象徴を有することができる。
白の五芒星:ソマリ人の住処

ソマリ族の分布
『ソマリ人』とは、(ほぼ全てのソマリ人が)スンナ派イスラム教に属し、ソマリ言語を有する民族共同体。全体で約3000万人以上とされています。
彼らは主に『アフリカの角』と呼ばれる場所の『5つの地域』に居住しており、これらが国旗のシンボルマークである『白の五芒星(5つの頂点)』と関係してくるのです。
【ソマリ人:5つの地域】
- ソマリランド共和国
- ソマリア南部
- ジブチ
- オガデン地方(エチオピアの東側)
- ケニア北東州
ソマリアの国旗:歴史と変遷
ソマリアの歴史タイムやで〜
『アフリカ分割』それは、19世紀後半〜20世紀初頭にかけてのヨーロッパ列強によるアフリカ大陸の分割・植民地支配のことを指します。『アフリカの地図はヨーロッパの定規によって引かれた』と言われるほど、現地の民族・文化・歴史的背景を無視した国境線が多く引かれました。
ソマリアもその一部であり、現在のソマリア連邦共和国(ソマリア共和国を含む)は当時のイギリス・イタリアの植民地下にあった地域がそれぞれ独立し、統合された領域を指すのです。
では当時のソマリア植民地ではどのような国旗が使われていたのでしょうか?
イギリス領ソマリランド
『イギリス領ソマリランド』は、アフリカの角の東中部に位置し、19世紀末〜20世紀中頃までイギリスの保護領として存在していた地域です。
1884年以降、イギリスは紅海とインド洋の航路保護のため、アデン(現在のイエメン)に続き、アデンの対岸に位置するソマリ海岸の諸部族と条約を結び、保護領を設置しました。
当初は商業的・戦略目的で支配。直接統治ではなく間接支配が基本で、内陸部への統治は限定的でした。
第二次世界大戦中の1940年8月3日、同国はイタリアによって占領され『イタリア領東アフリカ』に組み込まれます。翌年1941年には国連軍により奪還に成功。
その後1960年6月26日『ソマリランド国』としてイギリスからの独立を果たしました。
その5日後、隣国の『イタリア信託統治領ソマリランド(後述)』の独立とともに両国は統合され、『ソマリア共和国』が誕生したのです。
ダラーウィッシュ国

ダラーウィーシュ国の国旗

『ダラーウィーシュ国』は1899年〜1920年にかけて現在の『エチオピア』北東部に位置した国です。
同国の指導者『サイイド・ムハンマド・アブドゥラー・ハッサン』はイスラム教を信条とし、キリスト教の追放・イギリス植民地からの解放を元に活動を行いました。
しかし、この政治方針はキリスト教国である隣国エチオピア・イタリア・イギリスとの関係に軋轢を生じさせます。
エチオピア・イギリス軍に対し、ダラーウィーシュ国は遊牧騎馬軍を中心にゲリラ戦や定期的な正面衝突で抵抗。
各所各国はダラーウィーシュ国に対し決定打を下すことができず、20年以上にもわたる領土紛争が行われました。
その後、イギリスはムハンマドの本拠地である『ヌガール』をイタリアの保護下に置くことを条件に自治権を認め、両国は一時的に和解をします。
しかし、1920年イギリスは第一次世界大戦後、空軍を用いたアフリカの本格的空爆作戦を実施。ダラーウィッシュの拠点を空爆し壊滅させます。その後、ムハンマドはエチオピア国境付近へ逃れましたが、1920年12月21日に病死。彼の死とともに同国は崩壊の道を辿りました。
イタリア領ソマリランド
イギリスとダラーウィーシュとの抗争の合間に『イタリア』が現在のソマリア南部に位置する広域を『イタリア領ソマリランド』として保護領化することに成功します(1889年)。
イタリア領ソマリランドは海岸都市『モガディシュ』を中心に影響力を拡大していきました。
1935年『ムッソリーニ』率いるイタリア軍は隣国のアビシニア(エチオピアの旧称)に侵攻、翌年1936年にはエリトリア・エチオピア・ソマリランドを併合して『イタリア領東アフリカ』を形成します。
1940年8月3日イタリアはエチオピアからイギリス領ソマリランドへ侵入、首都ラリベラを占領しイタリア領東アフリカに統合します。しかし、その後イギリスにより敗退。以後、『イタリア領ソマリランド』は1950年4月に入るまでイギリスの管轄下に置かれるようになります。
その後、国連の監視下でイタリアが再び信託統治を実施。(準独立準備期間)1960年(10年間限定で)イギリス領ソマリランドと併合して、ソマリア共和国が誕生しました。
ソマリアの補足

ソマリアは大変治安が悪い国として有名です(ソマリア海賊・内戦等)。外務省の渡航情報によると2024年7月19日現在ソマリア全域に渡り危険度4の通告が出ており、退避勧告が進められています(※1)。
1991年に起こったバーレ政権の崩壊後、長期間に無政府状態が続いた過去を持ち、現在では北部の『ソマリランド共和国』の独立、イスラム過激派の『アル・シャバブ』の台頭などの様々な問題を抱えています。
2012年に国際承認を得た『ソマリア連邦政府(FGS)』が樹立。
【※1:外部サイト】外務省海外安全ホームページ:ソマリア
https://www.anzen.mofa.go.jp/info/pcinfectionspothazardinfo_110.html#ad-image-0
参考文献
・FOTW Flags Of The World website:https://www.crwflags.com/fotw/flags/so.html
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