
チャドの国旗
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チャド共和国(Chad/CHA) |
正式 | Republic of Chad | 首都 | ウンジャメナ |
人口 | 1,718万人 | 面積 | 128.4万平方km(日本の約3.4倍) |
言語 | 仏語・アラビア語・部族語130以上 | 通貨 | CFAフラン |
※国章(右図)
Milenioscuro – 投稿者自身による著作物National Order of Chad: 1, 2, 3Chad: Coat of Arms and SealTchad, CC 表示 3.0, リンクによるチャドの国旗・解説
『チャド』の国旗が制定されたのは1959年6月11日(独立前年)。『青・金・赤』の縦三色で構成されており、元宗主国であるフランスのトリコロール🇫🇷(青・白・赤)を意識しつつも、白を黄色(汎アフリカ色)に置き換えることで独自性を演出しています。
以下色の説明

『青色』空・希望・農業・水資源(特にチャド湖)

『金色』太陽・北部のサハラ砂漠・鉱物資源

『赤色』独立のための血・団結・進歩
『チャドの国旗』と『ルーマニアの国旗🇷🇴』は、デザインが極めて似ていることで有名です。色の明度がわずかに異なるものの、国際的な場面で勘違いされるシーンも存在し、パッと見ただけでは判別不可能だと言えます(後述解説)。その他には『モルドバ共和国🇲🇩』・『アンドラ公国🇦🇩』なども類似しています。
チャドの国旗規定は『チャド共和国憲法』により以下のように定められています。
【チャド共和国憲法・2023年憲法・和訳】
・第8条(Article 8):国旗は、青・金・赤の三色旗で、同じ幅の縦縞。青は旗竿側(左)に位置する。
・第10条(Article 10):チャド共和国の印章および紋章は、法律によって定められる。
また、アフリカの国々はチャド以外にもフランスのトリコロールを意識した国旗が多く見受けられます。これは19世紀後半〜1960年代にかけての欧米諸国によるアフリカ分割(植民地化計画)が原因であり、フランスの支配下にあった諸国家が、独立後フランスのトリコロールを踏襲したためなのです。
国旗の色・青・チャド湖

『チャド湖』はアフリカのほぼ中央に位置し、チャド・ナイジェリア・ニジェール・カメルーンの4国の国境沿いに存在する大きな湖である。
また『チャド』は現地の言葉で大きな水域のことを指し、この湖が由来とされています。
古代よりチャドの農業や経済・生活を支えて生きた一方で近年では灌漑・砂漠化の影響により規模が縮小を続けており、21世紀には消滅する可能性があると言われています。
水深は平均1〜2m程。深いところでも10m程しかないんだとか。
チャドとルーマニア国旗

ルーマニアの国旗

チャドの国旗
う〜ん。どっちがルーマニアの国旗なんだにゃ…?
青が少しだけ濃い方がチャドらしいで。
ルーマニアが現在使用している国旗を制定したのは1866年、ルーマニアの前身となる『ルーマニア公国』時代の出来事です。そのおよそ80年後、1947年〜1989年にかけてルーマニアの社会体制が『共産主義』へ移行し、国旗の中央部分(黄色い部分)に共産主義を示す紋章が入りました。

ルーマニア:共産主義時代の国旗
1989年の『ルーマニア革命』によりルーマニアは『民主主義』に移行。共産主義の紋章が削除されます。その結果、現在『チャド』が使用している国旗「青・黄・赤」の三色旗と瓜二つな国旗が完成したのです。
国旗デザインの重複は過去に問題になったことがあり、チャド政府は国連に対して「国旗が酷似しており、国際的混乱を招く」と指摘した上、ルーマニアに国旗変更を要請しました。
ルーマニア側は、「我々が先にデザインを考案した。共産時代に紋章を入れていたが、それを外して元に戻しただけだ」と反論。変更の意思はないと明言しています。

ちなみにこれは創価学会の旗です
チャドの補足
似ている国旗

ルーマニア

モルドバ共和国

アンドラ公国
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