
AIが怖いのはなぜ?200年前の小説にその答えがあった!〜現代に蘇るフランケンシュタイン〜
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最近、AIが急速に進化して、「このままAIが人間を支配するんじゃ…」と感じたことはありませんか?
実はそれ、「フランケンシュタイン・コンプレックス」という、人類が長年抱えてきた心理的恐怖かもしれません。
フランケンシュタイン・コンプレックスとは「人間が創造した人工的存在(ロボット、AI、遺伝子組み替え生命体など)が、やがて人間に反乱を起こすのではないかという根源的な恐怖や不信感」のことを指します。
名前の由来はイギリス作家メアリーシェリー作の小説「フランケンシュタイン」(1818年)から。
この小説は、科学者であるヴィクター・フランケンシュタイン(※「怪物」がフランケンシュタインではない)が死体をつなぎ合わせて人工生命を作ることに成功しますが、その”怪物”が制御不能になってしまう物語です。
”怪物”の見た目は異形でおぞましく、見るものに恐怖を与えたました。
この用語が初めて定義されたのは、アメリカのSF作家アイザック・アシモフによる短編小説「Little losl Robot(迷子のロボット)(1940年代)」からだそうです。
現代社会において、ChatGPTやAGIといった人工知能。戦闘用ドローンやキラーロボなどの自立兵器。それらが急速な進化を遂げています。
テクノロジーの発達にともないこのコンプレックスは、今やフィクションの中だけの存在ではなくなってきているのです。

AIやロボットに対する本能的恐怖の正体とは?
では、なぜ人類は「自分が作り出した知的生命体が、制御不能になって反乱を起こすのでは?」という根源的な恐怖を抱くのでしょうか?。
それについては、以下のようなことが考えられます。
・「創造することの恐怖」:自分の手で生み出した存在に対して責任を取れないことへの恐怖心。
・「支配からの逸脱」:本来自分がコントロールできるはずのものが、意思をもって動き出す怖さ。
・「自己投影型の恐怖」:人間自身の攻撃性や裏切りをAIやロボットにも投影してしまう(=自分がやってきたから相手もやるはず)
これらが、私たち人間からフランケンシュタイン・コンプレックスを生み出しているのです。
フランケンシュタイン、その話の続き…
前述した小説、フランケンシュタインには続きがあります。
この物語に登場する”怪物”は最初から怪物ではなかったのです。怪物は見た目こそ恐怖の象徴のようなおぞましい姿でしたが、中身はまっさらの生まれたてのの赤ちゃんと同じでした。
しかし、生みの親であるヴィクターはその姿に恐怖し逃げ出してしまいます。世間の人々も怪物を恐れ嫌悪したのでした。人々から向けられた心無い悪意や憎悪により怪物は怪物に変わっていったのです。
この小説の著者のメアリー・シェリーは私たちにこのように問いかけます。
「人間は知的生命を作っても良いのか?」「知識の追求に私たちは”責任”をとれるのか?」「自分たちが創り出すものに”心”を与えられているか?」
この物語は、人工生命の恐怖ではなく作ったものの無責任さを批判しているのです。
「人間はいつも、自分の作った知的存在が人類を滅ぼすと思い込むが、それ自体が一種の恐怖症(コンプレックス)である」と、アイザック・アシモフは語りました。そして、このコンプレックスを乗り越える必要があると、同様に語ります。
あとがき
現代の科学技術は加速度的に発達しています。それに対して倫理観や社会制度は対応できているのでしょうか?。技術進歩の果てに待つ「責任」と「人間性」の崩壊。
彼らSF作家は、無尽蔵に発達する科学の進歩に私たちが恐怖することなくちゃんと向き合えているのか。現代にも通づるこの問題に対して200年以上前から警鐘をならしてきたのです。

※SF作家アイザック・アシモフはこの恐怖を克服するために有名なロボット工学三原則を考案しました。
人間の孤独が”怪物”を生んだ:SF小説『フランケンシュタイン』

作品情報
- 原題:Frankenstein; or; The Modern Prometheus
- 出版年:1818年(初版)/1831年(改訂版)
- ジャンル:ゴシック小説、SF、哲学小説
- 形式:入れ子構造(語り手が入れ替わる書簡形式)
『フランケンシュタイン』(1831年改訂版)の内表紙。挿絵はTheodor von Holst画 パブリックドメイン
あらすじ
若き科学者ヴィクター・フランケンシュタインは、生命の原理を探求する中で、ついに「死者の肉体を繋ぎ合わせて人工生命を作り出す」ことに成功します。
だが、目覚めたその”存在”はあまりにも異形でおぞましく、ヴィクターは恐怖して逃げ出してしまうのでした。
見捨てられ、社会からも拒絶されたその”怪物”はやがて言葉を覚え、感情を持ち、そしてーー復讐の念に変わっていくのです。
「私は最初から怪物だったわけじゃない。そうしたのは”あなたたち”だ」。
「創造すること」の責任
ヴィクターは神をも恐れぬ行為で「生命」を作ったにも関わらず、それを放棄します。
その結果、生まれた存在は愛も教育も受けず、ただ「排除されるもの」として放浪することになったのです。
AI、遺伝子操作、クローン技術など「人間が何かを作り出す力」を持ち始めた今、「創造主としての責任」というテーマを現代社会に問いかけるのです。
「怪物」とは誰だったのか?
作中では、名前を与えられず「それ」「あいつ」などとしか呼ばれない怪物。
だが彼は読書をし、愛情を求め、哲学し、涙を流す存在だったのです。
「私は善良だった。でも誰も私を善良に扱ってくれなかった」
この一言は、人間性とは何か?を考えさせられます。「外見が異なる存在は排除される」という社会の反応が怪物を本当の怪物に変えてしまったのではないか?
「怪物」は本当に”怪物”だったのか?それとも、彼を怪物に変えたのは我々だったのか?
こんな人にオススメ!
フランケンシュタインは文学を超えて、映画、アニメ、SF、哲学、心理学にまで広く影響を与えた作品です。
- SFやホラーの原点を知りたい人
- AI・生命理論・現代科学に不安を抱く人
- 社会から”はみ出してしまった”存在に共感する人
- 心理学や哲学の視点で小説を読みたい人
気になる方はぜひ読んでみてくださいね!

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