
ペルー:国旗
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※左の図
Addicted04, Connormah – 投稿者自身による著作物,Aquarius.geomar.deこの地図は汎用地図作成ツール(generic-mapping-tools.org)で作成されました。起伏情報には下記のパブリックドメインデータセットのうちの1つ以上が使われています。ETOPO2(地勢・海底地形):http://www.ngdc.noaa.gov/mgg/global/global.htmlGLOBE(地勢):http://www.ngdc.noaa.gov/mgg/topo/gltiles.htmlSRTM(地勢):http://www2.jpl.nasa.gov/srtm/বাংলা ∙ English ∙ español ∙ français ∙ italiano ∙ 日本語 ∙ македонски ∙ sicilianu ∙ 中文(简体) ∙ 中文(繁體) ∙ +/−この文書は、フリーソフトウェア財団発行のGNUフリー文書利用許諾書 (GNU Free Documentation License) 1.2またはそれ以降のバージョンの規約に基づき、複製や再配布、改変が許可されます。不可変更部分、表紙、背表紙はありません。このライセンスの複製は、GNUフリー文書利用許諾書という章に含まれています。, CC 表示-継承 3.0, リンクによる
ペルー共和国(Peru/PER) |
正式 | Republic of Peru | 首都 | リマ |
人口 | 3,435万人 | 面積 | 約129万平方km(日本の約3.4倍) |
言語 | スペイン語 | 通貨 | ソル |

縦横比 2:3

国章

赤は『勇気・愛国心』を象徴します。

白は『平和と名誉』を象徴するよ。
『ペルー』といえば、マチュピチュ・ナスカの地上絵などの観光地が有名ですよね。当国は紀元前〜16世紀初頭にかけ様々な文明が築き上げられた国であり、南アメリカ大陸において、最も古代文明が栄えた地であるとも言っても過言ではありません。
そんなペルーですが16世紀〜19世紀初頭にかけて、スペイン帝国の重要拠点として支配されていた過去を持ちます。
1821年:とある将軍達の尽力により独立に成功。彼らはのちにペルーの国旗デザイン色である『赤・白・赤』の色合いを生み出した張本人達でもありました。
ペルーの国旗:それにはどのような意味・由来が込められているのでしょうか?
国旗・デザイン:由来
ペルーの国旗ってどんな由来があるんだニャ?
それはね、ペルーの独立に貢献した「とある将軍」が関係してくるんやで。
国旗・考案者:『マルティン将軍』

”ホセ・デ・サン・マルティン将軍”
彼は、南アメリカ諸国をスペインから独立させるために活躍した運動家の一人です(アルゼンチン・チリ・ペルーの独立に貢献)。
彼がペルー沿岸に上陸した際。紅白色鮮やかなフラミンゴ達(諸説あり)が空高く飛び立つ姿に感銘を受け、国旗を制定しました。
※当時、将軍は(「赤い翼で白い胸の鳥」を見た!)と言い残したそうです。
マルティン将軍の功績は後世に讃えられ、アルゼンチン紙幣(アルゼンチン・ペソ)のモデルとなっています。
- マルティン将軍により制定されたペルー国旗(1821年)
- Huhsunqu – 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 2.5, リンクによる

- フラミンゴ(flamingo /紅鶴)
- ラテン語で「炎」を意味する鳥「フラミンゴ」。
彼らの羽の色は、主食である藻類や甲殻類に含まれる、βカロテン・カンタキサンチン等の色素が影響しているそうです。

- スペイン帝国によるアメリカ大陸の支配
- 1492年:”コロンブスの卵”で有名なイタリアの航海者『クリストファー・コロンブス』は、アメリカ大陸の発見に成功します。
航海を援助したスペイン帝国はこの発見を機に、広大な範囲の北・南アメリカ諸国を支配下に置きました(ペルーも同様)。
スペインによるアメリカ支配は約300年に渡って続きます。
(イメージ画像:クリストファー・コロンブス)

国章・デザイン:解説

ペルーの公的機関が使用する国章入り国旗
上のデザインは政府・軍・学校などで使用される『公式ペルー国旗』といえるものやな。

ペルー:国章
ペルーの国章は、国の自然・富・文化的象徴を凝縮した三分割デザインで構成され、政府用国旗・公式文書・硬貨などに用いられます。
左上(青地):ペルーの国獣『ビクーニャ』を描く。アンデス山脈に生息するラクダ科の動物(リャマの仲間)。
右上(白地):『キナの木』を描く。南北原産の樹木。かつてマラリアの治療薬として使われたキニーネが採取可能。
下部(赤地):『鉱物資源の豊かさと経済的富』を象徴。金貨が溢れ出るツノの形をした容器が描かれています。
ペルー:歴史・観光・魅力
ここからはペルーの観光地について語っていくよ〜!
ペルーは数々の古代文明が栄えた場所。国の隅々にその名残が残ってるんやで〜

ナスカの地上絵
アンデス山脈の麓、ペルー南部の乾燥地帯に広がる『ナスカの地上絵』
この巨大な地上絵群は紀元前200〜紀元後700年ごろ、ナスカ文化によって描かれたとされる、世界屈指のミステリースポットです。
※空から見ないとその全貌が確認できないのだとか。
ハチドリ・サル・雲・コンドル・木・人間などの動植物・幾何学模様の数々。約300種類以上にも及ぶデザインは、数十mの大きさのものから全長数百メートルに及ぶものまで存在します。
ナスカ観光ツアーのハイライト。セスナ機に乗って空中から地上絵を一望するツアーは必見です(所要時間は30分前後)。
ナスカの地上絵(サル)
インカ帝国:マチュピチュ

『マチュピチュ』とは、15世紀にインカ帝国によって築かれた天空都市で、現在のペルー:アンデス山脈の標高2430mに位置します。インカ帝国のパチャ・テクの時代に建設され、宗教・政治・天文学の中心地として機能していました。
モルタル(セメントと砂を水で練り混ぜて作られる建築材料)を一切使わず、巨石を精密に組み上げるインカの石造り技術は必見です。
標高が高く隠された立地だったため、スペインによる破壊を免れ原型を保っており、神殿から見下ろすマチュピチュの石像都市と周囲のアンデスの山々は、まさに天空の絶景であると言えるでしょう。
マチュピチュ:スポット

その1:太陽の神殿
マチュピチュ遺跡の中心部に位置する『太陽の神殿』。インカ文明の宗教・天文学の中心地として機能していたと考えられる場所です。
インカ遺跡では珍しい半円形・曲線的な構造をしており、精巧な石造りと地震に耐え得る強さを持ちます。
設置されている二つの窓は、夏至と冬至の朝の日差し(太陽)を内部に差し込み、中央の祭壇を照らす仕組みになっています。
※インカ帝国の太陽神『インティ』の捧げ物と儀式とが連動していたと言われます。
「太陽の神殿」(sufw 著)は、CC BY-SA 2.0 ライセンスに基づいています。.
インカ帝国の建築技術と天文学的知識の高さを象徴する建物と言えるんだにゃ
その2:インティワタナ
インカ文明の神秘を象徴する遺跡の一つ『インティワタナ(日時計)』
その名はケチュア語で「太陽を繋ぎ止める場所」の意味を表しており、太陽を信仰するインカ文明の特徴的な施設の一つと言えるでしょう。
大地から突き出た岩を人為的に掘り、中央に四角柱が立つ。
岩の4つ角は東西南北を示しており、この柱は太陽の位置や季節の移り変わりを把握するための天文観測装置として使われたと推察されます。
一部の観光客の間では手をかざすと神秘的な力が宿るパワースポットとしても人気があるんだとか。

クスコ

ペルーの南東部、アンデス山脈の高地にたたずむ『クスコ』はかつてインカ帝国の首都として繁栄し、現在ではユネスコ世界遺産にも登録されている文化都市になります。標高3400mに位置しながら、世界中から訪れる観光客で賑わっていることからその文化的価値の高さが窺い知れるでしょう。
この街の最大の魅力は「インカ文明」と「スペイン植民地の文化」が層のように重なっている点があげられます。インカ時代の優れた石造建築の上に、スペイン風の教会やバルコニー付きの家が点々と建てられており、見るだけではなく歩くことで時代を感じることができるでしょう。
石畳の路地、コロニアル様式の建物、インカ時代の石組みが混在する街並みはまさに時空を越える旅の始まりといえます。
※クスコはインカ帝国の中心地として「世界のへそ(ケチュア語)」とよばれました。
似ている国旗

オーストリアの国旗
配色が赤・白・赤の同一色。横3色である点が大きな違い。

カナダの国旗
赤・白・赤の同一配色。中央に楓の葉が描かれているため、識別は可能。
構成はペルーと似ているが、意味・起源は全く異なる。
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